嫉妬と聞くと、どんなことを思い出しますか?
恋愛での嫉妬。
仕事での嫉妬。
クラスメイトへの嫉妬。
兄弟間での嫉妬を思い出す人もいるかも知れません。
いずれにしろ、好き好んで感じたい感情ではありませんよね。
だって、苦しいし、辛いし、醜いし・・・。
そんな感情を、自分が持っているなんて、認めたくはありませんん。
嫉妬している自分に、嫌気がさすこともあるでしょう。
とてもイヤな感情で、自分の中にあることさえ認めたくないのに、どうして感じてしまうのでしょう。
実は、悪い事だらけのように思える嫉妬にも、自分を成長させてくれるヒントが隠れているのです。
今日は、そんな嫉妬について掘り下げていきたいと思います。
ご興味がありましたら、最後までお付き合いください。
ううう・・・うううう・・・。天女様、助けて・・・。
まぁ、どうしたの。
苦しくて、苦しくて、仕方がないんです。
何があったの?食べすぎ?飲みすぎ?そう言えばあなた、最近少し太ったものね。
違います!!お腹が苦しいわけじゃありません。
ココロ!心が苦しいんです!!
ココロ?・・心がどんな風に苦しいの?
妬ましいというか・・・
羨ましいと言うか・・・
胸の奥がドロドロしてるんです。
あぁ。誰かに嫉妬しているということかしら?
そう。そうです。嫉妬です。
自分がこんな風に嫉妬する人間だったなんて・・・。
自分の器のチッポケさに、嫌気が差してしまいます。
嫉妬するのは、別にあなたがチッポケだからじゃないわ。
何があったのか、話してもらえるかしら?
実は、最近ピアノを習いだしたんですけど、中々上手に弾けなくて。
ピアノ?なんでまた、突然に?
娘がピアノを習っていた時に買ったモノがあるんですけど、娘は辞めてしまって。
このままでは勿体ないし、やってみようかな、っと思って。
まぁ・・・動機はともかく、ピアノなんて素敵じゃない!
それで、何か弾けるようになったのかしら?
それが、全然上達しないんです。もともと、音楽の才能はないだろうな・・・と思ってはいたんですけど、あまりにもヒドくって。
そう。でも、何かを学ぶって、それだけでも素晴らしいことよ。
はい。私もそう思って頑張ってたんですけど、一緒に始めたお友達が、グングン上達していくのを見て、羨ましいというか、妬ましいというか・・・。心がモヤモヤ、ドロドロ。苦しいんです。
なるほどね。それで、嫉妬して、苦しくて、唸っていたというわけね。
はい・・・。もう、こんな気持を感じるのはイヤなんです。
嫉妬はね、決して悪いだけのものではないのよ。
あなたにとって、「本当に大切なもの」を教えてくれる感情でもあるの。
本当に大切なもの?
そうよ。だから、イヤがったり否定したりせずに、自分を知るために、嫉妬との付き合い方を学んでいきましょうね。
はい。お願いします。
そうそう。「嫉妬」と言うと、少しドロドロした感じがしてしまうから、ここでは、ちょっと可愛く、「ヤキモチ」という表現を使っていきましょうね。
ヤキモチの感情は、自分の欲しいものを知るチャンス!
あなたは、どんな時にヤキモチを感じますか?
好きな人が、他の女の子と話していた時?
隣のご主人が出世した時?
同期の友人が、大きなプロジェクトを任された時?
ヤキモチというのは、どうでもいいものに対して焼くことはありません。
私たちがヤキモチを感じるというのは、それが本当に欲しいもの、手に入れたいものだからこそ感じるのです。
さて、もしあなたが、ピアノに全く興味がなかったら、ピアノを弾く友達にヤキモチを焼くことはないでしょう。
自分もピアノを弾きたいと思ったからこそ、ヤキモチを感じるのです。
恋愛でもそうです。
好きでもない男の人が、誰かとデートをしていても、ヤキモチを焼くことはないでしょう。
大好きな彼が、自分以外の人とデートをしているから、ヤキモチを焼いて、心が苦しくなるのです。
仕事ができる人に対してヤキモチを焼く場合もそう。
例えば、あなたの仕事が、住宅を売る営業マンだったとします。
そんな時、あなたがヤキモチを感じるのは、売るのが上手で、営業としての成績をあげている人に対してのはずです。
いくら仕事ができるとはいっても、
教えるのが上手な塾の先生や、パンを焼くのが上手なパン屋さんに、ヤキモチを感じることはないでしょう。
あなたがヤキモチを感じる人。
それは、あなたが本当に欲しいものを手に入れている人、あなたが本当にやりたいことをやっている人なのです。
あなたが何にヤキモチを焼いているか、どんな人にヤキモチを焼いているかを知ることは、
自分が「本当に欲しいもの」「やりたいこと」を知るチャンスでもあるのです。
なるほどー。ヤキモチを焼くのは、本当は、それが欲しいからなんですね。
そうよ。自分が欲しいものを、その人は手に入れていると感じるから、羨ましく思うのよ
そっか。私は、上手にピアノを弾きたい。でも弾けない。なのに彼女は上手に弾いている。だからヤキモチを焼いてしまう。
そう。そしてね、ヤキモチを焼くということは、あなた自身も、それを手に入れられるかもしれないと思っているからこそ、焼いているのよ。
ん?どういう意味ですか?
そうね・・・例えば。
あなた、プロのピアニストにヤキモチを焼くかしら?
いいえ。プロにヤキモチなんて焼くわけないじゃないですか。
あら、なぜ?あなたが羨ましいと思うのは、ピアノを上手に弾ける人なんでしょ?プロは上手よ。
なのに、なぜお友達にはヤキモチを焼いて、プロには焼かないのかしら?
だって、プロでしょう。ヤキモチを焼く対象じゃないですよ。
じゃ、なんでお友達にはヤキモチを焼くの?
それは・・・彼女は素人だし、同じ時期に習い始めたし・・・。
うふふ。ごめんなさい。少し意地悪な質問だったわね。
ホントですよ。焦ったぁ。
あなたはね、自分は、プロにはなれないけど、お友達のようにはなれると、知っているのよ。だから、プロには焼かないヤキモチの感情を、お友達には感じるの。
んん?どういうことですか?
ヤキモチを焼くのは、自分にも「できる」と知っているから
なぜ、プロのピアニストにはヤキモチを焼かないのか?
私たちは、自分に全く手に入る可能性がないものに対して、ヤキモチを焼くことはありません。
もちろん憧れは感じることでしょう。素敵だな、こんな風に弾けたらいいな。
でも、それはあくまで憧れ。
プロのように弾けないからといって、自分にガッカリすることはないのです。
なぜなら、プロのように「なれない」「できない」ことには、それほど心の痛みを感じないからです。
しかし、その対象が、一緒に習い始めた友達となった途端、あなたは「なれない」「できない」ことに痛みを感じ始めます。
できない自分にガッカリしてしまうのです。
プロにはなれなくても、友達のようになら出来るかもしれない。なのに、出来ていない。
そんな自分に対して、痛みを感じるのです。
好きな人が別な女の子とデートをしている時、もしかしたら、その隣にいるのは自分だったかもしれない。
なのに、自分は怖がって、彼をデートに誘うことすらできなかった。そう思うから辛いのです。
ということは、実はあなたは、知っているということなのです。
自分にも、友達と同じように弾ける可能性があるということを。
もしかしたら、彼の隣にいられたかもしれないということを。
可能性があるのにできていないから、ヤキモチを焼いてしまうのです。
そうですね。確かに私は、プロにはヤキモチを感じませんでした。なのに、友達には感じていた。
自分には、そのくらい出来ると知っているということよ。
友達を妬むなんて、私、イヤなやつですね。
友達を妬んでいるわけではないの。出来るはずなのに出来でいない自分がイヤになってしまっているということよ。
あぁ、またもや自己嫌悪。ダメだな、私・・・。
ホラホラ、またそうやって、自分で自分をイジメるんだから。ヤキモチはね、自分をチッポケに扱うから感じてしまうこともあるのよ。
どういうことですか?
どうせ自分になんかできないもん。そんな「どうせ」が、ヤキモチを引き起こすのよ。
「どうせ」?
ヤキモチ焼きな自分を抜ける鍵は、あなたの中にある「素直さ」
実は、ヤキモチは、本当はできるはずなのに、私には「ムリ」「ダメ」「出来ない」と、自分自身に言い聞かせている時にも湧いてきます。
自分にはどうせ「ムリ」、どうせ「ダメ」、どうせ「出来ない」、
どうせ手に入らないのだから「いらない」と言っているのです。
「あなたはいいよね。私には手に入らないものを手に入れて。」
「私は、どうせ願ったって手に入らないから。」
「どうせ手に入らないなら、願うものか。」
「どうせ私にはムリ。だから、いらない。」
「あなたは手に入れられていいよね。」
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でも、本当にいらないのですか?
本当にいらなかったら、ヤキモチは焼きませんよね?
本当は、「欲しい」のです。
本当はそんな風に「なりたい」し、そんな事を「やりたい」のです。
まずは、自分の中にある、「欲しい」「なりたい」「やりたい」を認めてあげませんか?
自分の気持に素直になること。
自分の気持ちを素直に認めること。
そんな素直さが、ヤキモチから抜け出すためには必要となってきます。
ところで、あなた、ちゃんと練習している?
(ドキっ)えっ・・・も、もちろん、してますよ。
怪しいわね。もしかしたら、ヤキモチを言い訳にして、練習をサボってるんじゃないかしら?
ヤキモチを言い訳にする?どういうことですか?
「私にはムリー、出来ないー」って言っていれば、本気で練習することと向き合わなくてすむでしょ。
あなた、「私、こんない苦しいんです」と言うことで、本当の自分と向き合うことを避けているんじゃないかしら?
本当の自分と向き合う?
ええ、そうよ。もしかそたら、本当にやりたいことを避けるために、ヤキモチを使っているだけなのかもしれないわね。
ヤキモチを焼くのは、本当に欲しいものから目をそらすため
少し想像してみて下さい。
もし、あなたが本気でピアノのレッスンに打ち込んでいるとしたら、ヤキモチなんて感じるでしょうか?
目の前の楽譜と鍵盤にひたすら向き合ったいる時、人のことを考えている余裕なんて、ないのではありませんか?
その時、あなたが感じたいのは、その楽譜を書いた作者の感情や、鍵盤を叩く指先の感覚です。
友達に嫉妬する自分の感情を感じている暇はないはずなのです。
ピアノを弾けるようになりたいと願う時、あなたが向き合うべきは、目の前のピアノです。
もし、本当にピアノが上手になりたかったら、ピアノと向き合い、ピアノを弾くしかないのです。
でも、私たちは、ヤキモチを焼くことによって、本来自分が向き合うべきものから目をそらそうとします。
どうせムリだもん。どうせできないもん。
そう言っている方が、苦しいけど、ラクなのです。
私たちは、本当に欲しいものを手に入れることを恐れています。
だから、嫉妬の感情を使って、本当に「やりたいこと」本当に「欲しいもの」から目をそらそうとするのです。
自分が本来向き合うべきものをやらないために、ヤキモチを使ってはいませんか?
確かに、私は大した練習もせずに、出来ないと言っていたかもしれません。きっと彼女は、私がヤキモチを焼いているうちに、何倍も練習していたのでしょうね。
そうかもしれないわね。
ああ、私って、やっぱりダメだぁ・・・。
ほら、また。そうやって、いつもの感情に浸らないの。そんな事してても、ピアノは上手にならないわよ。
そうですよね!練習あるのみ!
そうよ。それにね、ヤキモチを感じるということは、本当のあなたを知るチャンスでもあるんですから。
本当の私?
ヤキモチから学び、あなたらしい人生を始めよう
もしかしたら、ヤキモチを焼いている時、あなたは、自分ではない、他の誰かになろうとしているのかもしれません。
自分にはない何かを求めて。
でも、そんな事をしても、あなたの心は、ラクにならない。
他の誰かと同じになることは、決してあなたが幸せになるということではありません。
嫉妬をなくそうとするのではなく、嫉妬から教えてもらいましょう。
あなたが、心から欲しいもの、やりたいことは何なのかを。
もしかしたら、あなたが本当に欲しかったのは、ピアノが上手に弾けることではないかもしれません。
友達のように本気で向き合える何かだった、ということだってあるかもしれないのです。
それだって、嫉妬を感じるからこそ気付けること。
嫉妬を、ただのネガティブな感情として隠すのではなく、焼いている自分を素直に認めてあげましょう。
そして、本当は何に嫉妬しているのか、本当に欲しいものは何なのかを知る手がかりにしていきましょう。
誰かと同じものを手に入れることではなく、自分が本当に欲しいものを知ることは、あなたが自分らしく生きることへと繋がります。
そして、ヤキモチなんて感じる暇もないような人生へと、変えていきましょう。
分かりました。なんだか、とってもスッキリしました!
それはよかったわ。
じゃ、私、ピアノは辞めて、友達のように夢中になれる何かを探します。
え!!イヤ・・・別にそう言ってるわけでは・・・。
ありがとうございました。
さようならー。
ちょ、ちょっと待って・・・。
あぁ、行ってしまったわ。
まぁ、いいでしょう。どうせまた、すぐに来るでしょうから。
まとめ
いかがでしたか?
確かに嫉妬は、辛くて苦しい、とてもイヤな感情です。
自分の中に、そんな醜い気持ちがあることを、受け入れられない時もあるでしょう。
でも、辛くてイヤなだけでなく、自分が本当は何を求めているのかに、気付かせてくれる感情でもあります。
ただ否定するのではなく、まずは、自分が嫉妬しているということを素直に認め、何に嫉妬しているのか見つめることで、自分の欲しいもの、やりたいことを見つけていきましょう。
最後までお読み下さり、ありがとうございます♡
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