「未来を映す鏡」があったなら?
「ここに鏡が3つあります。
一つ目は、未来が映る鏡。二つ目は、人の心が映る鏡、三つ目は、自分の心が映る鏡。
どれか一つだけもらえるとしたら、あなたならどの鏡を選びますか。」
これは、小学校の帰り道に、友達から聞かれた質問です。
子供同士の他愛もない会話でしたが、この質問は、私の脳裏にクッキリと焼きつきました。
人生のふとした拍子にこの質問を思い出し、これまでに何度も何度も、自分に問いかけ、今の自分を知るための大切な質問となったのです。
大人になった今も、時折、同じ質問を自分に投げかけます。
「3つの鏡、私ならどれを選ぶ?」
未来がわかったらいいよね。知りたい。
自分がどんな仕事について、どんな人と付き合って、何歳で結婚して。大人になった自分がどんな暮らしをしてるのか、わかったらいいよね。
・・・待てよ?ホントに知りたい?
未来を知ってしまったら、自分は頑張る?
もし、3年後に死にますよ、という未来だったら、今、学校に行って勉強しようって思えなくない?
例えば、同じクラスの〇〇くんが将来の結婚相手ですよ、とかってわかってしまったら、嬉しいより困らない?
先のわかる人生、それって楽しい?
「未来が映る鏡」は、いつもこんな風に却下されてきました。
未来は自分で決められる。人生は逆算!
この頃の私は、人生は過去から未来に繋がっていると思っていました。時間が、自分の後ろから流れているように感じていたのです。
こんな感じ。
過去→10年前→1年前→1ヶ月前→1週間前→昨日→今日→明日→1週間後→1ヶ月後→1年後→10年後→未来
今は少し感じ方が変わってきています。
すでに未来があって(未来を決めて)、未来から過去に向かって時間が流れていると感じているのです。
こんな感じ。わかるかな?人生を流れる時間の向きが違うの。
過去←10年前←1年前←1ヶ月前←1週間前←昨日←今日←明日←1週間後←1ヶ月後←1年後←10年後←未来
初めて聞いたとしたら、ちょっと変な感覚がするかもしれません。
でも、もしかしたら、未来は、私達が思い描いたところから、逆算されて流れているのではないかと思うのです。
例えばです。
あなたは高校3年生。進学を希望する大学があるとします。
すると、まずは受験日を押さえ、そこから日程を逆算して、現時点で何をやるべきか、合格のためのスケジューリングを考えますよね?
受験日(未来)→受験1日前→受験1週間前→受験1ヶ月前→受験1年前→今日(現在)
先に受験日ありきで、スケジュールを組むと思うのです。
前日には最後の見直し、一週間前には間違いノートのチェック、1ヶ月前には、過去問全体をざっと解き直す・・・などというように。
これを逆にして、過去問を解き直して、間違いノートをチェックし、最後の見直しまで終わったから、さぁて、受験日を決めようかな!
なんて人は、いないはずなのです。
まず最初に、受験日ありきです。
人生もこれと同じなのではないかと思うのです。
まずは、こうなりたい自分ありき。望んだ未来ありき。
そこから逆算して、今、何をやるのか。
未来は、先に決めるものなのではないかと思うのです。
過去から重ねていくものではなく、未来を決めてから重ねるものなのです。
時間は前から流れてくるものなのです。
子供の頃は、「未来が見えてしまったら、今、頑張れなくなるよね」と思い、未来が映る鏡を選びませんでした。
今は、「未来の鏡には、自分が思い描いたものしか映らない」と思っています。
こうして、今も、昔も、私が「未来が映る鏡」を選ぶことはありませんでした。
「人の心が映る鏡」があったなら?
次に、「人の心が映る鏡」はどうでしょう?
相手の気持ちが分かったら、人付き合いラクになる。その人が、自分の事をどう思っているかわかるし。言ってることが、ウソかホントかもわかるしさ。
好きな人ができたら、その人が自分のことを好きかどうかわかるもん。告白しなくていいし、恥かいたり、傷ついたりしなくていい。
・・・待ってよ。ホントに知りたい?
相手の考えてること、全部わかっちゃったら、逆に付き合いにくくならない?
好きな人の気持が見えてしまったら、相手の気持ちを想像してドキドキすることもできなくなる。
人の心がわかる人生、それって楽しい?
相手の心が全てわかってしまったら、私達はコミニュケーションを取ろうとは思わなくなるでしょう。
だって、聞かなくても鏡に映っているんですもの。それこそ、本人さえ気付いていないような本当の気持ちが。
わざわざ、相手と話したり聞いたりする必要はありません。
更に、何かを質問した時に、相手が「鏡に映る心」と違うことを言ったなら、きっと不信感が募るでしょう。
そんな人間関係って、寂しいです。お互い、心で繋がるような関係性を築けない。きっと、そんな鏡を手に入れてしまったら、本音で付き合うことができなくなってしまうのではないでしょうか?
人は、わからないから面白い。
わからないから知りたくなる。
知りたいから、共に過ごし、互いの思いを伝え合う。
人の心を知りたいのは、相手に対して不安がある時
それにね、最終的には、人の心がわかったらからって、何なのだろう?と思うのです。
そんなに大事なことなのだろうか、と。
私達が誰かの心を知りたいと願う時、それは、その人との関係性に不安や恐れを抱いている時なのではないでしょうか?
お互いの関係性が信頼できなくなっているから、相手の心を知りたくなってしまうのではないかと思うのです。
そんな時は、相手がどう思っているかを知ることより、なぜ自分が不安に思っているかを知ることの方が大切なのです。
なぜなら、自分が抱いた不安や怖れは、他の誰でもない、あなた自身のものなのだから。自分を知ることが、不安や恐れを解消する方法でもあるのです。
知りたいのは、自分の心
結局、小学生の私が出した答えは、「自分の心が映る鏡」でした。
子供ながらに、自分の心を知りたいと思いました。
その後の人生でも、この質問が心に浮かぶたびに、真っサラな気持ちで考えてきました。
答えはいつも同じでした。
私が知りたいのは、自分の心です。
・自分が何を思い、何を感じているのか?
・何が好きで、何に喜ぶのか?
・どんなことに自分の心は動くのか?
・何を隠し、目をそむけているのか?
・どんな人生を送りたいと望んでいるのか?
・本当に大切に思っていることは何なのか?
・本当の自分とは、どんな自分なのか?
自分の心の中の何を映して欲しいのかは、その時々で変化しました。
でも、3つの鏡のうち、どの鏡を選ぶかが変わることはありませんでした。
いつ聞いても、何度聞いても、
私の答えは「自分の心を映す鏡」。
あなたが鏡をのぞく時。そこに何が映っていますか?
当たり前のことですが、鏡に映っているのは、自分自身のはずです。
そう。
鏡は、自分自身を映すものなのです。自分自身を見るためのものなのです。
私は鏡に、自分自身を映したいのです。
そんな私にとって、20代で出会った心理学は、まさに「自分の心を映す鏡」でした。
心理カウンセリングを学ぶということは、とことん自分自身と向き合うということでした。
自分を知り、理解し、許し、癒やされ・・・。
何度も何度も、そのような体験を繰り返すことによって、自分の内側に隠れている感情、心の底から湧き上がってくる感情、普段は全く感じたこともない様々な思いに気づき、それを受け入れる事によって、頭ではなく、心や意識に落とし込んでいくのです。
心理学で学んだこと、感じたことを通して、私は、いつも自分の心を見つめてきました。
たくさんのことに気づき、自分自身を知ることができました。
心理学を学ぶことによって、私は、子供時代に欲しいと願った「自分の心が映る鏡」を手に入れたのです。
このブログには、鏡の話が度々出てきます。
もしよかったら、あなたも鏡に自分の心を映しながら、読んでみてくださいね。
◯鏡の質問◯
ここに鏡が3つあります。
一つ目は、未来が映る鏡。
二つ目は、人の心が映る鏡。
三つ目は、自分の心が映る鏡。
どれか一つだけもらえるとしたら
あなたならどの鏡を選びますか?