自分を大切にする心理学ーあなたはそのままで愛される(シンデレラの物語01)

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深い森の奥。古いお城が建っていました。
その城には、 どんな悩みにも答えてくれる
「魔法の鏡」が掛けられた部屋があり
世界中から、様々な人が「魔法の鏡」
のもとへ相談に訪れるのでした。
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鏡よ鏡。鏡さん。
私の相談に乗っていただけないでしょうか?

 
 

こんにちは。プリンセス。よく、こんな森の奥まで来ましたね。
素晴らしい勇気だと思いますよ。

 
 

ありがとうございます。
でも、私、プリンセスなんかじゃないんです。
灰色の服を着て、灰にまみれて眠る・・・そんなミジメな暮らしをしています。

 
 

そのような暮らしは、あなたに似合わないわ。

 
 

いいえ。姉たちには、灰だらけがお似合いだと言われます。

 
 

それで、今日はどんな相談があるのかしら?

 
 

毎日、毎日、やらなくちゃいけないことが山のようにあるんですけど、なんだかもう、疲れてしまって。・・・これ以上、頑張れないと感じてしまいます。

 
 

だいぶ疲れているようね。

 
 

ええ。やらなくてはならないのに、どうしてもやる気にならなくて・・・。でも、私が頑張らないと・・・。

 
 

あのね、プリンセス。
「やらなくちゃ」という事は、本当は「やりたくない」と思っているという事なのよ。まずは、そこからお話ししましょうね。

 

「やらなくちゃ」「やるべきだ」は、「我慢」と「犠牲」の証拠です。

私達が、本当にやりたいことをやっている時、そのことに対して、「やらなくちゃ」と思うことはありません。

「やらなくちゃ」ではなく、「やりたい」んです。

もし「やらなくちゃ」と感じている事があるとしたら、そのことに対して、あなたの心は「我慢」して「犠牲」を払っている状態にあると言えるでしょう。

「我慢」して「やらなくちゃ」ならない、「やるべきだ」と思っているのです。

あなたも、このような思いで、何かを行っているということはありませんか?

「我慢して、勉強すべき」
「頑張って、働かなくては」
「無理してでも、ご飯を作らねば」
 などなど・・・

これらは、あなたの「観念」の1つです。

「観念」とは、「〇〇とは、こういうものだ」「□□は、こうするべきだ」といった、私たちが持っている「思い込み」のことを言います。

あまりにも小さい頃から慣れ親しんでいる感覚のため、自分にとっては当たり前になりすぎて、この考え方が「思い込み」だとは、気づけなくなっている人もいるでしょう。

自分が日常的に「我慢」をしているかどうかわからない人は、あなたの口癖を思い出してみて下さい。

「~せねば」
「~すべき」
「~しなきゃ」

もし、このような言葉を使うことが多いとしたら、それは、あなたが「犠牲」という心理状態にハマっているという証拠かもしれません。

他にも、
「頼まれたら断れない」
「期待に応えねば」
「断ったら嫌われる」

なんて思っているとしたならば、そんなあなたも要注意!

これらも、あなたの「観念」の1つなのです。

 

プリンセス、あなたはいつも「~しなくちゃ」と思って、働いているんじゃないかしら?

 
 

ええ。「私がやらなくちゃ」と思っています。
だって、私がやらないと家の中はグッチャグチャ。
家族のために働く事の何がいけないんでしょう?

 
 

悪いわけではないのよ。
人のために何かをするのは、とても素晴らしいこと。
ただね、あなたがどんな気持ちでそれをしているか、という行動の「動機」が大切なのよ。

 

大切なのは動機です!その行為は「犠牲」から?それとも「喜び」から?

「犠牲」とは、我慢や無理をしてでも、誰かのために何かをしてあげる、という心の状態です。

自分が「犠牲」をしている時、あなたの「心」は間違いなく置き去りにされています。

「自分を犠牲にして、誰かを助ける。」

映画や物語の中には、よくあるストーリーですよね。

「自分を犠牲にしてでも、かけがえのない大切な人を救いたい。」
そんな無条件の愛に、私達は心を揺さぶられ、涙を流します。

誰かのために何かをすると言う事は、本当に素晴らしい行為です。

ただ、ここで大切になってくるのは、

「自分が心から望んでその行為を行っているか?」

それとも、

「自分の心に無理をさせて行っているか?」

この根本的な動機の違いによって、同じ事を行ったとしても、あなたにとっての結果が大きく変わってくるのです。

例えば、お母さんが、お子さんに食事を作るとします。

「大切な我が子に、美味しいものを食べさせてあげたい」という、子供を愛する思いから食事を作ったとしたら、それは「喜び」の行為です。

美味しそうにご飯を食べる子供を見て、あなたの心は満たされるでしょう。
子供の笑顔に、あなたのエネルギーは充電されることでしょう。

「母親なんだから、子供に食事を作って食べさせねば」という思いから作ったとしたら、それは「犠牲」の行為です。

疲れたあなたの心は、例え子供の笑顔を見たとしても、そこに「喜び」を見いだすことはできません。

「食べるだけの人はいいよ」と思ってしまったり。

「早く食べなさい!」と怒ってしまったり。

「こんなにやってやってるのに、ありがとうの一つもないのかよ」とお礼を期待してしまったりします。

心が満たされることはなく、疲れや不満が溜まる一方なのです。

これが「犠牲」からの行為です。

同じ「食事を作る」という行為のはずなのに、一方は「喜び」で心が満たされる。もう一方は、労力を使って疲弊しただけ・・・。

動機の違いによって、同じ事をしたとしても、手に入るものが全く違うのです。

「喜び」からの行為の場合には、「(食事を)与え」て「(笑顔を)受け取る」ができるため、充電切れを起こすことはありません。

それどころか、子供の笑顔を見ることによって、余計に元気もらえたりもするのです。

しかし、「犠牲」の状態にいる時、私達は一方的に「与える」ばかりで、「受け取る」ことができません。

疲れたあなたの心は、子供の笑顔を感じ取る余裕すらないのです。

頑張った挙げ句にそれって、ツライよね・・・。

ツラくても元気なうちは、なんとか責任感や義務感で、頑張ってこなしていくことができます。

しかし、「犠牲」の状態で何かを行っている時、あなたは「与える」一方。

それは、エネルギーを使いっぱなしの状態と同じです。

充電する事をしないため、いつかはスイッチ・オフ。突然画面が消えて動かなくなってから、充電が切れたことを知るのです。

「もう、なーーーんにもやりたくない」
「動こうと思っても動けない」
「身体が言うことを聞かない」

こんな事を思い始めたら、充電切れ間近のサインです。

自分を押し殺し「犠牲」して、なんとか頑張ってきたけれど「もう限界だよ・・・」と、心が訴えているのです。

そう。もう、限界なのです。

あなたは十分に頑張ってきました。誰かのために「与える」というあなたの行動は、とても価値あるものです。

でもね、今度は自分を満たすために、ちょっとだけ「受け取る」をしてみませんか?

「犠牲」の状態を抜けるためには、「受け取る」という事がとても大切になってくるのです。

だって、まずは自分が満たされないと、誰かを満たしてあげるなんて、できないんですから。

 

プリンセス、まずはあなた自身を充電しなくちゃね。

 
 

確かに、私は「与える」ばかりで、「受け取る」事をしていないと思います。
でも一体、何をどう受け取ればいいのかもわからない・・・。

 
 

そうね。「与える」より「受け取る」方が難しいもの。

 
 

「受け取る」には、どうすればいいのでしょう?
なんで私は、「受け取る」ことができないんでしょうか?

 

受け取りベタに潜む罠。それは、あなたの「無価値感」

なぜ、受け取ることができないのか?

それは、自分自身のことを「受け取るだけの価値のない存在だ」と思っているからです。

私達が作り上げている「観念」の1つに、「愛されるためには、何かをしなければならない」というものがあります。

自分みたいな人間が愛されるためには、我慢してでも何かをしなければならないと感じているのです。

これは、私達が自分自身に抱いている「自己価値」と大きく関係してきます。

「自己価値」とは、自分の価値をどのように捉えているか。自分自身を「価値ある人間」と思えているか、思えていないか、ということです。

もし、あなたが自分の価値を高く見積もることができていたとしたら・・・。

「自分は愛されるだけの価値がある」と思えるため、誰かに何かをしてもらった時、笑顔で「ありがとう」と受け取ることができるでしょう。

しかし、あなたが自分の価値を低く見積もっていたとしたら・・・。

きっとあなたは、「ありがとう」の代わりに、「すみません」と答えてしまうのではないでしょうか?
もしかしたら、受け取った途端、何かお返ししなくては・・・と考えてしまう人もいるかもしれません。

自己価値の低い人は、愛されるために献身的に働いたり、我慢して嫌なことをやったり。

愛してもらうために「犠牲」を払ってでも、何かを与えようとするのです。

自己価値が低く、「自分には価値がない」と感じてしまう感情を「無価値感」と言います。

「無価値感」の原因は、過去の「愛されなかった痛み」「大切にされなかった痛み」に根付いています。

過去に起こった、何かしらの「愛されなかった出来事」が、「自分には愛されるだけの価値がない」という誤解を引き起こしました。

「無価値感」の強い人は、「自分には受け取るだけの価値がない」と感じるため、「受け取りベタ」になってしまうのです。

「受け取りベタ」を直すには、自分の中にある「無価値感」を癒す事が大切になってきます。

「無価値感」が癒やされると、「自分は受け取るだけの価値がある」と感じられるようになるため、「受け取る」ことが、今より簡単にできるようになってきます。

例え、表面的には平気なふりをしていたとしても、私たち人間は、愛されたい生き物です。
誰かに愛してもらいたい、認めてもらいたい、という思いが心の奥にあるのです。

愛の欲しい私たちは、「愛されるためには、何をしたらいいだろう?」と考えます。

そして、無理や我慢をしてでも、愛されようとするのです。

価値のない私が愛をもらうためには、何かをしなくてはならない。

何もしない私は、愛される価値がない。

あたも、そんな思考回路がクセになってはいませんか?

 

もしかしたら、誰よりも灰まみれがお似合いと思っていたのは、あなた自身なのかもしれないわね。

 
 

そうかもしれません・・・。
どうしたら「自己価値」を上げることができるのでしょう?

 
 

そうね。方法は色々あるけど、
ペットでも飼ってみたらどうかしら?

 
 

へ?ペットですか?

 
 

そうよ。小鳥でも、ネズミでも。
あなたが愛情を注げるものだったら何でもいいわ。

 
 

なぜ、ペットなのですか?

 
 

「自己価値」を高める方法は、他にも色々ありますけどね。
今のあなたには、ペットを飼うのも、良いの方法1つだと思うのよ。

 
 

ペットを飼うと「自己価値」が高まるのですか?

 
 

「自己価値」の前にね、今のあなたは、ペットから、たくさんの気づきをもらえるんじゃないかと思うの。
ペットが、あなたの先生になるかもしれないわよ。

 

自己価値を高め、そのままで愛されるあなたになろう。

ペットは、社会活動的に見たら、非生産的な存在です。

人間であれば、社会生活を営んでいくために、何かしらの生産活動をしています。

生産とはいえ、物を生み出す事とは限りません。娯楽や医療といった無形のサービスもあります。家庭の主婦が行う家事も、立派な生産活動です。

しかし、ペットは、何かを生み出したり、何かしらのサービスを行うということはありません。寝て、食べて、排泄して・・・。

ただただ、そこにいるだけで、何もしなくても、人はその存在に価値を見出し、愛し、手間暇かけて世話をするのです。

人間の赤ちゃんも同じです。
赤ちゃんが生み出すものといえば、うんちとおしっこ(失礼!)くらいのもの。

でも、ただベビーベッドに横たわっているだけで、存在そのものが愛されるのです。

ペットも赤ちゃんも、私たちが何かをしてあげた時、恐縮したり、遠慮したりすることはありません。私たちのように「すみません。自分でやります。」と言うことはないのです。

与えてもらったことに対して、嬉しそうな声を出したり、気分の良さそうな仕草をしたり。

それだけで、与えた側の気持ちは満たされます。

赤ちゃんが、ほんのちょっと動いただけで、ほんのちょっと微笑んだだけで、私達は幸せな気分に満たされるのです。

ペットが喉を鳴らし、シッポを振っただけで、嬉しいのです。

もうすっかり忘れてしまってはいますが、私達だって、かつては無条件に愛されていたのです。

そこにいるだけで、たくさんの幸せを周囲に振りまいていた時代があったのです。

しかし、大人へと成長する過程の中で起こった様々な出来事によって、私達は「自分には価値がない」という思いを抱くようになりました。

そして、「価値のない自分は、何かしないと愛されない」と思うようになったのです。

無理して、頑張って、犠牲して、何とかして愛されようとしたのです。

そうしなければ、自分自身に、「愛されてもいいんだよ」という許可をだすことができなかったのです。

でもそれは、勘違いなんですよ。

大人のあなただって、そのままで愛される価値があるのです。

「あなたは、何もしなくても愛される存在です。」

あなたが、そのことに気づくことによって、これまで思い込んでいた「~せねば」「~すべき」「~しなきゃ」という犠牲的な思いからくる行為が、「与えたい」という愛と喜びからくる行為へと変化していきます。

すると、やっている事は変わらず以前と同じだとしても、あなたの心は、愛で満たされるようになるのです。

 

まずはね、ペットと暮らすことで「何もしなくても愛される」ということを肌で感じて欲しいのよ。その感覚を、身体の中に染み込ませてね。

 
 

私は、何もしなくても愛される。

 
 

そう。あなたは愛される価値がある。

 
 

私は愛される価値がある。

 
 

その言葉を、何度も繰り返してね。
また来週いらっしゃい。待ってるわ。

 
 

はい。ありがとうございました。

 

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ボーーーン、ボーーーン、ボーーー

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◯鏡の質問◯

あなたが、「~せねば」「~すべき」「~しなきゃ」と思っていることはなんですか?

◯鏡の言葉◯

「私は、何もしなくても愛される価値がある。」

 

 

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