怒りの感情の下に潜む、本当の気持ちの見つけ方Ⅰ(シンデレラの物語02)

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深い森の奥。古いお城が建っていました。
その城には、 どんな悩みにも答えてくれる
「魔法の鏡」が掛けられた部屋があり、
世界中から、様々な人が「魔法の鏡」
のもとへ相談に訪れるのでした。
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鏡よ鏡。鏡さん。
私の相談に乗っていただけないでしょうか?

 
 

こんにちは。プリンセス。
よくいらっしゃいましたね。

 
 

あの後、鏡さんに言われた通り、ペットを飼ってみたんです。

 
 

あら。ちゃんと実行したのね。素晴らしいわ!
何を飼ったの?

 
 

小鳥とネズミです。
ミンナとってもいい子たちで可愛くて。見てるだけで心が癒やされます。

 
 

そう。よかったわね。
愛するものがあるということは、大切なことですよ。

 
 

ええ。・・・ただ、お義母様が可愛がっている猫がいるんですけど、その猫を見てると、なんだかイライラしてしまって。

 
 

どんな風にイライラするのかしら?

 
 

寝て、食べて、ブラブラして・・・何の役にも立ってないのに、なんなの?
なんで何もしないくせに可愛がられるのよ!って思ってしまいます。

 
 

なるほどね。それはね、あなたがたくさん我慢しているからこそ、そんな風に感じてしまうのよ。

 
 

我慢してるからイライラしてしまうんですか?

 
 

そうよ。私たちが怒るのには、他にも色々な理由があるけどね。
今日は、我慢からくる怒りについてお話しましょうね。

 

2つのイライラ。どうして腹が立つのだろう?

何かを禁止していることからくるイライラ!

あなたが作った禁止事項

私たちは、普段、自分で思っている以上に、多くのことを我慢して暮らしています。

それは、なんてことなく思えるような小さなことから、我慢の限界と思うほど大きなことまで。

例えどんなに穏やかな1日であったとしても、気付かぬところで、小さな怒りや我慢が積もり積もっていたりするものです。

「これくらいなんともない。」
「全然平気、平気。」
「まだ大丈夫。まだ頑張れる。」

あなたもこんな言葉を自分自身に投げかけ、頑張りすぎてはいませんか?

「そのくらい我慢するのは当たり前。」
「あの人は、もっと我慢してるんだから。」

と、自分の我慢を、小さなものとして扱ってはいませんか?

我慢をする時、私たちは、自分自身に何かしらの禁止事項を作ります。

禁止するものは、人によって様々です。

自由であったり、楽しみであったり、甘えであったり、ラクすることであったり・・・。

自分自身に何かを禁止し、我慢するのです。

・食べたいのを我慢する。
・遊びたいのを我慢する。
・好きなことを我慢する。
・断ることを我慢する。
・気持ちを伝えることを我慢する。

・・・などなど

我慢とは、欲求を抑え込むこと

あなたも、このような我慢に心当たりがあるのではないでしょうか?

どれもコレも、本来自分がやりたいこと、言いたいことを我慢しています。

我慢をするということは、自分の欲求を抑え込むということです。

欲求を抑え込むということは、自分の思い通りにはならないということ。

自分の思い通りにならないと、私たちはイライラしてきます。

つまり、

イライラするのは、自分に何かを禁止して我慢しているから。

ということになるのです。

あなたをイライラさせる、禁止事項をやぶる人

更に、自分が禁止していることを、目の前でヤスヤスと行っている人がいたら、どう感じるでしょう?

妻だから、母だからと、自分のことは後回しで家族のために尽くす日々。
なのに旦那さんは、自分の趣味や飲み会ばかり。

周囲の気持ちを考えて「ミンナがいいなら、それでいいよ」なんて答えた直後。
「えー、あたし、それヤダー」と言い出すヤツ。

足の疲れに耐えながら、座りたいのを我慢して立つ電車内。
目の前で、なんのためらいもなく優先シートに座る若者。

なんとなくイラッとするのがわかりますか?

これらは、あなたが自分に「やっちゃダメ!」と禁止していることを、人がすんなりやったため、イヤな気持ちになったのです。

私たちは、自分が禁止していることをやっている人を見ると、腹が立ってしまいます。

「私は我慢しているのに、なんでアンタはーーー!」

と感じてしまうのです。

あなたが誰かにイライラしている時、

もしかしたら、その人は、あなたの禁止している何かを軽々と行っている人なのかもしれません。

自分の思い込みやルールからくるイライラ!

「観念」が作り出すイライラ

イライラには、自分の「観念」から起こるものもあります。

ここで言う「観念」とは、自分の中にある、思い込みやルールのことです。

例えば、

「やるべきことを全て終えてからでなければ、好きなことをやってはいけない」

というルールを持っている奥さんがいたとします。

彼女は、いつも自分のやりたいことをする前に、全ての家事を片付けようとします。

しかし、家事とは、延々と続く終わりなき仕事です。
掃除、洗濯、食事作りに食器洗い。更には、細々とした名もなき家事たち・・・。

彼女の「やるべきこと」リストが、全てが消されることはありません。

そんな彼女の旦那さんは、「やるべきこと」よりも「やりたいこと」を優先するタイプ。

家事に追われる彼女の隣で、趣味のゴルフ道具の手入れなんぞをしています。

明日の休みは、早起きしてゴルフに出かけるつもりらしい・・・。

そんな時、奥さんがイライラしてくるのがわかりますか?

ドシドシと忙しそうに歩き回る足音
ガチャガチャと雑に食器を洗う流水音
力任せに開け閉めするドアの開閉音

彼女の動作の随所にイライラが現れ始めます。

「ウチのダンナったら、休みのたびに好きなことばかり。今週末はゴルフですって!!」

「ウチもよ!ウチのダンナなんて先週ね・・・。」

こうして奥様方は、ランチや立ち話で、旦那様のグチ話に花を咲かせるわけです。

一見すると、奥さんの不満の対象となっているのは、趣味のゴルフです。

でも本当はね、奥さんは、旦那さんがゴルフに行くから怒っているわけではありません。

その証拠に、もし旦那さんがゴルフに行くのをやめたとしても、きっと、奥さんのご機嫌は直らないことでしょう。

それどころか、

「え?何それ?まるで私のせいみたいじゃない?私は一言も、行くななんて言ってませんけど!!」

と、逆に怒らせてしまうことすらあるかもしれません。

そのイライラはあなたのルールから

なぜ、怒らせてしまうのか?

それは、奥さんがイライラしている原因が、ゴルフとは関係ないところにあるからなのです。

奥さんは、

自分は、好きなこと、やりたいことを我慢して、やるべきことをやっているのに、

旦那さんは、何もせずに、好きなことをしていることにイライラしているのです。

この時、彼女をイライラさせているのものは、彼女自身のルールです。

「やるべきことを全て終えてからでなければ、好きなことをやってはいけない」

彼女の中では、これが絶対的なルールとして存在しています。

「やることをやらずに、好きなことをやる」のは、彼女にとって禁止事項。

すると、彼女にとって旦那さんは「ルールを平気で破る人」ということになります。

奥さんは、旦那さんがゴルフに行くこと自体に怒っているわけではなく、彼女のルールを無視しているから怒っているのです。

「自分は正しい」という観念

私たちは、自分が守っているルールを破られるとイライラを感じます。

「軽々しく女性に声をかけるべきではない」
と思っている男性は、親しげに女性と話す男を見ると「ケッ」と思います。

「異性の前で態度を変えるべきではない」
と思っている女性は、男性の前でブリッコになる女をみると「チッ」と思います。

これらも、自分のルールを破る人に対しての怒りです。

また、自分ではこのルールが正しいことだと信じているために、

「自分は正しい、相手は間違っている」

という図式が出来上がってしまいます。

そのため、どうしても相手のやり方を受け入れることができず、「怒り」という態度になってしまうのです。

観念(ルール)というものは、自分にとって当たり前になっているため、「自分が観念を通して物事を見ている」ということに、なかなか気付くことができません。

そのため、どうしても

「自分が怒っているのは、相手が間違っているからだ!」
「アイツのせいで、自分はこんなに腹が立っている」
「あの人が私を怒らせた」

という発想から抜けることができないのです。

混合型のイライラ!シンデレラの場合

〇〇せねば、愛されない

シンデレラの場合で見て行きましょう。

彼女は、何もせずブラブラしている猫に対してイライラしました。

なぜイライラしたのか?

1つは、自分が禁止している「何もしないでブラブラする」ということを、ヤスヤスと猫が行っていたから。

もう1つは、シンデレラが「働かなくては愛されない」という観念を持っていたからです。

そのため、「ブラブラするだけで、何もしていないのに愛されている」猫を見てイライラしたのです。

シンデレラのように、「〇〇せねば愛されない」という観念がある人は、我慢して、犠牲してでも、愛を得るために何かをしようとします。

自分のような人間が愛されるためには、何かをしなければならないと思い込んでいるのです。

☆詳しくはコチラ

そのため、何もしなくても愛されている人を見ると、自分の中の観念に反するため、イライラしてしまいます。

「なんでアンタばかり、何もしなくても愛されるのよ!!」という気持ちが湧いてくるのです。

でもね、自分の中にこんな汚い気持ちがあるなんて・・・。なかなか認めたくないですよね。

そこで、私たちは感情に蓋をして、気付かないようにするのです。

怒りを抑え込み、我慢して、なかったものにしようとします。

こうして抑圧された怒りは、心の奥底に閉じ込められてしまうのです。

我慢しなければ愛されない・・・。
頑張らなくては愛されない・・・。
いい子でいなければ愛されない・・・。

あなたの中には、一体どんなルールがありますか?

 

プリンセス、あなたはたくさんの感情を押し殺して生きてきたようね。
中でも怒りは、特に抑え込んできたみたい。

 
 

怒り?いいえ。私、別に怒ってませんけど。

 
 

ホラ、それよ。
あなたはそうして、いつも怒りから目を背けてきたの。

 
 

いや、だから怒ってないって言ってるじゃないですか!

 
 

ふふふ。
やっと少し感情を感じられるようになってきたみたいね。

 

怒りの性質

怒りは悪者?

——
A:「何かあった?」

B:「別に」

A:「怒ってるの?」

B:「別にって言ってるでしょ」

A:「いや・・・でもホントは怒ってるでしょ?」

B:「しつこいな!怒ってないって言ってるでしょ!!」
——

こんな会話、どこかで聞いたことはありませんか?

これ、怒りを認めずにいるうちに爆発してしまった、典型的なパターンです。

私たちは「怒り」に対して、とても否定的な気持ちを持っています。

感情には様々なものがありますが、「怒り」はネガティブなものとして捉えられる感情の代表格とも言えるでしょう。

「怒ることは悪いこと。」

私たちは、心のどこかで、「怒り」という感情を、まるで悪いものであるかのように感じているのです。

誰だって、自分の中に悪いものがあったら、人には見せたくないですよね

そのため、私たちは、悪いモノだと思っている「怒り」を、他人様には見せないよう、自分の心の中に隠し、こっそりと処理してしまおうします。

怒りをコントロールした結果…

あなたも、「怒らない。怒らない。」と日常的に「怒り」を抑え込むようにコントロールしたことがあるのではないでしょうか?

私たちは理性と共に生きています。そのため、感情をコントロールするのはお手の物です。

ただそれも、あなたの心のコップに余裕があればの話です。

一旦はコントロールして押さえ込んんだ「怒り」の感情。

でも、度々押さえ込み続ければ、いつしか満タンになり溢れ出します。

そうなってしまうと、もう操縦不能。

手に負えなくなった「怒り」を、そのまま相手にぶつけてしまい、後になって、「やっちまった・・・」と後悔する、となるわけです。

食欲で考えると、わかりやすいかもしれません。

お腹が空いているのをギリギリまで我慢したら、次の食事の時には、食欲をコントロールするのが難しく、爆食いしてしまうことでしょう。

コントロールが効かなくなった食欲。リバウンド。後悔と自責の念・・・。

そんな経験をした私たちは、ますます「怒り」に対してネガティブな思いを持つようになり、より一層強く抑圧しようとします。

しかし、こんな事をずっと繰り返していたら、どうでしょう?

あなたの心、苦しくなってしまいませんか?

コップの水が溢れかえるくらいならまだ良いのです。

容量を超えてパンパンになったところに、無理やり蓋をして抑え込もうとしたら?

あなたの心のコップは、割れてしまうかもしれません。

「怒り」を我慢し続けると、心や身体に不調が現れ始めます。

そうならないためにも、「怒り」との上手な付き合い方を身につけていきましょう。

 

ふう。お話も長くなったし、少し休憩にしましょう。

 
 

はい。そうですね。

 
 

プリンセス。テーブルの上にお茶の用意があるから、お好きなものをお飲みなさい。

 
 

まぁ、いただきます。

 
 

怒りの話題は、やっぱりエネルギーを使うから疲れるわ。
もしかしたら、あなたも、イライラやモヤモヤを感じているかもしれないわね。

 
 

別に、そんな事は・・・。

 
 

今の気持ちをそのままにしてはダメよ。
次は、怒りとの上手な付き合い方をお話するから、必ず戻って来るんですよ。

 
 

はい。わかりました。

 

 

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