本当のあなたを隠す心の仮面の正体は?

行動を起こさないもう1つの理由、それは他人の目。

前回、強く惹かれる何かを感じているものの、中々行動が起こせなかった、そんなネガティブな思いについて触れさせて頂きました。

その理由の1つは、変化することを恐れて抵抗しようとする心理

「魅力」というゴムの弾力に引っ張られないよう、ダメな理由を並べ立て、夢中で言い訳をし、近づかないよう抵抗する。

なぜなら、そこに触れたら、自分が変わってしまうことを知っているから

変わってしまうことを、心の奥底で恐れているから。

他にも、私たちが行動を起こせないのには、様々な理由があります。

皆さんも、やりたいと思っていても中々行動に移せない、そんな経験があるのではないでしょうか?

今日は、私が中々無料説明会に申し込めなかった理由について、別の角度からみていきたいと思います。

この時の、私の場合。単純な話。

心に興味があるなんて事を、誰にも知られたくなかったのです。

悩んでいる自分を、隠しておきたかったのです。

家族には、心配を掛けたくなく、友達には、変な目で見られたくない。そんな思いから、カウンセリングへの興味を、隠そう、隠そうとしていました。

まだ心理カウンセリングなんて言葉が、一般に馴染んでいない時代です。

カウンセラーに悩みを相談するなんていう感覚は、周囲の誰しもが持ち合わせてはいませんでした。

もし、20年前の電話帳をお持ちの方がいたら、職業別欄を調べてみてください。心理カウンセリング事務所なんて、ほとんど見当たらないのではないかと思います。

当時、心理療法を受けられる場所といえば、精神病院くらいのものでした。しかし、精神科を受診するというのは、どうしても偏見と抵抗がつきまといます。私に限らず、多くの方がこのような感覚を持っていた時代だったのではないでしょうか。

そこで、1996年、厚生省が心療内科を標榜科として認め、精神科を含む多くの医療機関で「心療内科」を掲げ始めました。

「心療内科」という響きのおかげで、少しだけ心身症での治療を受けるハードルが下がりはしました。

しかし、まだまだ心の悩みをプロに相談するというのは、一般的ではありませんでした。

ただ、私にとって精神科は、そう抵抗のある場所ではありませんでした。
なぜなら、私の母は若い頃、精神病院の看護士として働いていたからです。

幼い頃、母は時折、楽しそうに病院での思い出話しをしてくれました。母の話に登場する入院患者さんたちは、面白くて、可愛いらしい人たちでした。
病院で起こるチョットしたトラブルは、その時には大騒ぎだったのでしょうけど、過ぎてしまえば笑い話。まるで漫画です。

当時の精神病院といえば、高い塀で囲まれた薄暗いイメージのするものでしたが、母のお陰で、心や精神というものは、私の中では割にポジティブなものとして存在していました。

とはいえ、母の話に出てくる人たちを、一般の人がどう思うか?

大人になった私は知っていました。

私は、友人たちに「最近おかしくない?」「何か変なものにハマってる?」とは思われたくなかったのです。

「違う。違う。そうじゃない。私は普通!」

心の声が、懸命に否定していました。

自分で自分がわからない、キャラクターという嘘

また、誰にも言えなかったのには、自分のキャラクターにも関係していたように思います。

私は、どうやら「悩み」や「メンタル」と言ったものと、全く関係のないところで生きているような、お気楽、のんきな印象を周囲に与えていたようだったのです。

子供の頃から、私を表現する時に使われる言葉といえば、
「元気」「明るい」「楽しい」「面白い」「のんびり」「のんき」

「アンタはいいよね。悩みなんてなさそうで。」眉間にシワを寄せ、悩みを語る友達に、いつもそう言われていました。

両親からも、「オマエはのんきでいいな」と。

そんな「のんきな私」が、時間とお金を費やして心理相談?

イメージ、ガタガタ。恥ずかしくて、とても親兄弟、友人知人には話せない。

せっかく築き上げてきた「明るく元気」な私のイメージが、崩れ落ちるような気がしていました。

そう。私は長い間、「明るく元気な女の子」という仮面を被って生きてきたのです。

このイメージは、あまりにも自分の身に馴染み、意識せずとも、そう思われるような言動を取れるようになっていました。

小さい頃からずっとやっていることなので、演じているという感覚はありません。
境界線がなくなるほど、人前では明るく元気な子だったのです。

それでも、心の中には違和感が生まれます。苦しいのです。

実際の自分はそんな人間じゃない・・・。

本当は、悩みだらけでネクラ。一人の時なんて、小人さん座りして、部屋の隅で固まっているんだから(ウソです)。

それなのに、誰も私を分かってくれない・・・。

「そんなん、人様が分かるわけないでしょーに!!」
今なら、自分で自分にツッコミを入れてしまうでしょう。

誰もわかるはずはないのです。

だって、誰にもそんな姿を見せなかったのですから。

自分を見せないくせに、「誰もわかってくれない」と孤独に浸る。なんてメンドウな女でしょう。

全然明るくないし、楽しくないことばかり考えて過ごしていました。
ネガティブな自分を、人目につかない所に隠し、いつでも「元気で明るい私」の仮面を被って生きていたのです。

でもね、仮面をかぶると苦しいんです。息が吸いにくいのです。

当時の私は、息苦しさのあまり、度々過呼吸に陥るような状態にまで、精神的に追い詰められていました。

それでも自分では気づいていなかったのです。

もう、ギリギリだということに。心が潰れかけているということに。

どんなにツライときでも、人前では、明るく元気な子だったのです。

なぜ仮面をかぶり続けるのだろう

なぜ、私は仮面を被って生きていたのか?

仮面を被るという事は、本当の顔を隠すという事。

私は、仮面の下に、どんな顔を隠そうとしていたのでしょう?

息苦しい思いをしてまで、何を隠したかったのでしょう?

私は、一人の時にはウツウツと悩んでばかりいる、ネクラな自分を隠していました。
表向きには笑顔で明るくしているけど、心の中ではダークなことばかり考えている自分。
否定的で、批判的。全然、優しくない。冷たい自分。

こんな自分を見せたなら、誰もが私を嫌うはず。

私から離れていくはず。

自分が自分を嫌いなように、人も私を嫌うはず。

仮面は、私の自己嫌悪と繋がっていたのです。

自分で自分を嫌い、人からも嫌われるのではないかと思っているから。

自分を悪いものだと感じているから。

ダークな自分は、バレないよう隠さなきゃと思っているから。

自分が自分を嫌っている分、たくさんの自分を隠している分、大きくて分厚い仮面が必要だったのです。

こんな悪い自分、とても人様には見せられない。

悪いものは隠さなきゃ。

そうんな風に感じていたのです。

誰よりも私を嫌っていたのは、私自身でした。

世界中のどこを探しても、あの時の私ほど、私のことを嫌っていた人はいないでしょう。

世界で一番自分を嫌っているのが自分。

その世界は、とてつもなく苦しい世界でした。

あなたも、本当の自分を隠して生きてはいませんか?

毎日、苦しい思いをしていませんか?

どんな自分を隠していますか?

なぜ、自分を隠すのでしょう?

こんな自分を見せたら、人から嫌われる?

本当の自分を見られたら、人は離れてく?

あなたの仮面は、あなたの自己嫌悪と繋がっています。

あなたが、あなたを嫌っているのです。

世界中の誰よりも、あなたのを嫌いなのは、あなた自身なのです。

・・・苦しいね。

仮面をかぶる本当の理由。それはあなたの「愛」です。

でもね、1つ、知っておいて欲しいことがあるのです。

あなたの仮面は、「誰かへの愛」でもあるのです。

あなたは、自分を悪いものだと思ったから仮面をかぶりました。

我慢して、自分を殺して生きる道を選びました。

悪い自分が、誰かを傷つけてしまうことがないように。

あなたは、自分を隠すことで、愛する誰かを救おうとしたのです。

想像してみてください。
もしあなたが、命の危険を伴うような感染症に侵されていたとしたら?

愛する人を、あなたの隣に置きますか?

いいえ。
きっとあなたは、愛する人を自分から遠ざけるでしょう。

そして自分の身体は、誰にも触れないように、病気を移さないよう、ひっそりと隔離部屋に隠すはず。

自分を悪だと感じているあなたは、隔離部屋に籠もるのと同じように、自分自身に仮面をかぶせたのです。

自分を隠す事で、我慢する事で、愛する誰かを守ろうとしたのです。

あなたの仮面は、あなたの愛と繋がっています。

本来のあなたは、純粋な「愛」そのものなのです。

はがれた仮面から現れた、本当のあなたとは?

心について学び始めてから、気づいたことがあります。

私が演じ続けてきたと思っていた「明るく元気」なキャラクターは、「本来の私」でもあったのです。

心理学を学び、自分の心と向き合い続け、人と触れ合い、愛と感謝を感じ、許し許され・・・。

いつの間にか、私の仮面は剥がれ落ちていました。
あんなに頑丈に張り付いていた仮面が、自然に取れていたのです。

仮面の下から出てきたのは、素の明るさを持った自分自身でした。無理して明るく振る舞うのではなく。楽で自然な明るさ。

私はちゃんと明るいのに、ネクラを隠そうとして無理に明るく振舞っていたのです。

自分の本質は100wで十分明るいのに、無理して120wの明るさを出そうとするから苦しかったのです。

誰だって、ネクラな部分なんて持っているのに。当たり前なのに、それを否定して、隠そうとして、苦しんでいた。

さらに、余分な20wは、ただ眩しいだけ。邪魔なだけ。

きっと周囲には、無理して20w分の明るさを増しているのはバレバレだった事でしょう。
どんなに上手に隠したつもりでも、そういうのって、どことなく臭ってしまうものだとは思いませんか?

人は、自分にないものを見ることはできません。ないものを演じることはできないのです。

よく「私、優しくないんです。優しいフリをしてるだけなんです。」とおっしゃる方がいます。

そんな話を聞くたびに、「あぁ、優しい人だな」と感じます。
もう十分に優しいのに、「もっと優しくなければ優しい人とは言えない」と思い込んでいるのです。優しさへのハードルが、めっぽう高いのです。

優しくない人が、「自分は優しくない」と悩むでしょうか?

優しくない人が、「フリ」で優しいことができるでしょうか?

優しいフリをするということは、優しいと思われる行動をとる、ということです。

ホントに優しくない人は、優しいと思われる行動をとることはできません。

優しい行動をとることができる人は、すなわち「優しい人」という事なのです。

だって、自分の中に優しさがなかったら、何が優しさかわからないのです。
何が優しさかわからなければ、 優しい行動をとることなんてできないのです。

だから、例えフリであろうとも、優しい事ができるのは、あなたの中に優しさがあるという証拠です。

さらに、あなたの中に優しさがあるという事は、誰かから優しさをもらった経験があるからだとも言えるのです。

誰かから、優しさをもらった経験が、あなたの優しさの源泉となっているのです。

あなたに優しさをくれた人は誰ですか?

あなたの優しさを、受け取ってくれた人は誰ですか?

今日は、今までにもらった優しさについて、ちょっとだけ考えてみませんか?

1つ思い出すごとに、きっと心が温かくなっていきますよ。

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