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深い森の奥。古いお城が建っていました。
その城には、 どんな悩みにも答えてくれる
「魔法の鏡」が掛けられた部屋があり
世界中から、様々な人が「魔法の鏡」
のもとへ相談に訪れるのでした。
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いらっしゃい、プリンセス。お久しぶり
お久しぶりです。あの・・・私、中々来れなくて・・。
いいのよ、いいの。それは、生活が充実していた証拠ですもの。
私ね、この前の宿題をやってみたんです。プレジャー・リスト。
あら、エライわ。どんな事を書いたのかしら?
例えば、
毎朝、窓を開けて小鳥と一緒に歌を歌う。
鏡に向かって微笑みかける。
お母様のお古のドレスたちを、リメイクする。
まぁ、いいわね。なにか変化は感じられた?
ええ。お陰で、前より心が満たされているように感じます。
自分で自分を喜ばせる、という意味が、少しわかったような。
それは良かったわね。
それにね、毎日楽しく過ごしていたら、嬉しい出来事が起こったんです。
あら、どんな事かしら?
今度お城で、村中の娘を招待して、舞踏会が開かれるんです。私も、その舞踏会に行ってみたいな、って思っていて。
まぁ、素敵!
そしたらね、お義母さまも、仕事を全部終えて、ドレスの準備ができたら連れてって下さるって。もう、夢見たい。
それは、本当によかったわね。
でも・・・私なんかがお城の舞踏会に参加するなんて・・・。いいのかしら?ムリよね・・・?
なぜそう思うの?
だって、こんな灰だらけなのに、ドレスなんて似合わないわ。それに、私なんかが舞踏会に行くだなんて、場違いじゃないかしら・・・。
どうも「私なんかが…」と思ってしまうようね。
そんな場所に行くなんて、無価値な私にはふさわしくない。
はい。そう感じています。
それはね、あなたの中にある無価値感のしわざなのよ。
今日は、無価値感についてお話ししましょうね。
無価値感とは
無価値感とは、「自分には価値がない」と感じる心の状態です。
シンデレラの第1話でも、少しお話ししましたね。
今回、シンデレラは、「私みたいな価値のない人間が、お城の舞踏会に行くなんて…」と感じています。
あなたも、お洒落なレストランや、すごい人達が集まるパーティ会場などで、同じ様な気持ちを感じたことがあるのではないでしょうか?
他にも、日々の生活の中で、こんな思いを経験したことはありませんか?
○好きな人から、突然の呼び出し。いつも彼の気分と都合次第。これじゃまるで、都合のいい女だわ、とわかってはいるものの・・・
→もし断ったら、二度と誘ってもらえないのではないかと思い、駆けつけてしまう。
○彼とのデートは、いつもお家。たまには、オシャレなお店で食事をしたり、話題のスポットに出掛けたいとは思うものの・・・
→ワガママを言ったら嫌われるのではないかと思うと何も言えず、今週もお家デート。
○ママ友との定例ランチ。毎回、毎回、ダンナと子供の話し。仕事や家事も溜まっているし、気を遣うばかりで楽しくない。本当は行きたくないけど・・・
→断ったら影で何を言われるかわからないので参加してしまう。
○プライベートもないほどに、仕事、仕事、仕事。最近では上司から「少し休んだら?」なんて言われる始末。でも・・・
→仕事の結果でしか自分の価値を証明できないように感じ、休むことができない。
○「これやっといて」なんて頼まれると断れない。さすがに毎回毎回だと、嫌になってしまうけど・・・。
→断ったら嫌われちゃいそうだし、どうせ自分には、このぐらいしかできないから、と引き受けてしまう。
なんとなーく、思い当たることがあるのではないでしょうか?
断りたいけど、断れない。
イヤだと言いたいけど、言い出せない。
だって、せっかくの人間関係、壊したくはないですもん。
怒らせてしまったり、嫌われてしまったら、その方が大変!
そうなるくらいなら、自分が我慢したほうがまだマシです。
その気持ち、とても良くわかります。
でもね、これらは、あなたの無価値感が作り上げている現実なのです。
プリンセス、あなたも、心当たりがあるんじゃないかしら?
ええ。いつも、そうです。やりたいわけではないけれど、イヤとも言えなくて。
なぜイヤだと言えないのかしら?
え?なぜって・・・だって、イヤだなんて言ったら、お義母様を怒らせてしまうわ。それに、私がやらないと、あの家では、誰も何もしないもの。
そう思って、ミンナのために我慢してたのね。
もしかしたら、我慢とすら感じていなかったかもしれません。働くのが当たり前だと思っていました。
自分の気持ち以上に、周りのことを優先してきたんですものね。よく頑張ってきたわね。
無価値感が及ぼす影響
やりたくなくても我慢してしまう
無価値感があると、私たちの生活の様々なところへ影響が出てきます。
本当はやりたくないことでも、我慢してやってしまう。
自分の気持ちや思っていることが言えず、相手に合わせてしまう。
何をするにも自信が持てなくて、中々行動に移せない。
もうクタクタなのに、更にハードワークをしてしまう。
我慢しなければ、
何かしなければ、
役に立たなければ、
頑張らなければ、
強い無価値感は、そう簡単には自分を受け入れさせてはくれません。
「何もできない自分なんて、何の価値もない」
「価値がない自分は、何かしなくてはならない。」
そんな風に感じてしまうのです。
「愛される価値がない」と思ってしまう
そう考えてしまう心の下側には、
「私には、愛されるだけの価値がない。」
という感情が潜んでします。
私は愛される価値がない。
だから、誘っても誰も来てくれない。
私は愛される価値がいない。
だから、困っていても助けてもらえない。
私は愛される価値がいない。
だから、断ったらもう誘ってもらえない。
「私なんて愛される価値ない」と思っていると、嫌なことでも相手の言うことを聞いてしまったり、何かを埋め合わせるかのように、無理をして働いたり。
価値がない分、我慢や犠牲をすることによって、愛を手に入れようとするのです。
やっていることにも価値が感じられない
また、自分自身だけでなく、自分のやっていることにも価値を見出すことができません。
仕事にしろ趣味にしろ、
「こんな事やる意味があるのかな」
「無駄なことやってるんじゃないかな」
と感じてしまうのです。
すると、自分の好きなこと、楽しいこと、ワクワクすることまで、わからなくなってしまいます。
自分は何が好きなのか、何がしたいのか、どう生きたいのかわからない。
そんな風に、自分で自分のことがわからなくなってしまう原因の一つに、無価値感が影響している場合もあるのです。
本当に、その通りです。私、すっかり自分が何をしたいか、わからなくなっていました。
「自分がやりたいこと」ではなく、ミンナが「期待していること」ばかりしてきたんですものね。
だって、ミンナがどうして欲しいのかわかるから・・・。
そうやって、もうずっと、ミンナの期待に答えようとしてきたのよね。
はい。もう、ずーっとこんなことをしている気がします。
私、いつからこうなってしまったんでしょう?
そうねぇ。生まれたばかりの赤ちゃんは、無価値感を持っていないと言われているわ。
じゃあ、いつから無価値感を持つようになったのでしょう?
こんな嫌な感情、感じたい人なんていないでしょうに。
そうよね。では、なぜ無価値感を持つようになたのか、お話しましょうね。
なぜ無価値感を持つようになったの?
なぜ、私たちは無価値感などと言う嫌な感情を持つようになったのでしょう?
いつから、この様な感情と付き合っているのでしょう?
ここでは一般的な、無価値感のできる過程について説明します。
生まれたばかりの赤ちゃんは、無価値感を持っていないと言われています。
もちろんあなたも、赤ちゃんの頃は無価値感なんて感じたことがなかったのです。
息をすること、おっぱいを飲むこと、排泄すること。
赤ちゃんは、生きるために必要最低限のことしかできません。
無価値感を感じて、何かをするなんて不可能なのです。
何しろ、自分では首を動かすことすらできないのですから。
もし、赤ちゃんが無価値感を感じていたら、だれかれ構わずオムツを変えてもらうことはできないでしょう。
お腹が空いたからと言って泣き続けたり、相手も場所もわきまえずに騒ぐことはないでしょう。
赤ちゃんがどこでも泣けるのは、自分が愛される存在であると言うことに、1mmの疑いも持っていないからです。
自分が受け入れられないとは、考えもしないのです。
実際、私たち大人も、赤ちゃんを可愛い、可愛いと受け入れます。
ウンチやおしっこをもらしても、
「いっぱ出ましたねー、エライでちゅね。」
夢中でミルクを飲んで吐き出しても、
「たくさん飲めまちたねー。」
吐いても、もらしても、決して怒ることなく、赤ちゃんの存在を丸ごと受け入れます。
そして、赤ちゃんは、何の疑いもなくその愛情に身を任せるのです。
何をしても、どんな自分であっても、受け入れられると信じているのです。
これがもし、大人になってからおもらしや嘔吐をしてしまったら・・・。
「それでも自分は愛される」
そう信じるのは、なかなか困難なことでしょう。
それよりは、「自分は一生笑いものだ」と思うことのほうが簡単ですよね。
うふふ。そうね。大人になってからのおもらしなんて、考えただけで恐ろしいわ。
でもね、それだって、無価値感がなければ、何ってことないのよ。
ええ!?大人のおもらしが?
ええ。「おもらししても、私は愛される。」と、心から信じていさえいればね。
まぁ!!ムリよ、ムリ。
もしかしたら、どれだけ無価値感がなくなったかを知るための、究極の方法かもしれないわね。
そんな風に思えたら、生きるのがラクでしょうね。
大丈夫。あなたも、そうなれるわよ。
あの・・・私もお手洗いに行ってきます。
まだ、「おもらししても愛される」とまでは、信じられないので。
そうね。じゃ、少し休憩にしましょうね。
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